生きることは、選ぶこと

 

北九州の若松区にシャボン玉石けん株式会社という会社がある。

以前、大ベストセラーで大ブームとなった「『買ってはいけない』に「お勧めの良い商品」として紹介されて以来、有名誌から無添加石けん商品の問い合わせが後を絶たず、若い男性向けのファッション誌にまで商品が紹介された会社である。

我が家は、洗剤と名の付くものはすべて無添加石鹸を使うようにしている。1995年当時結婚(妻とは、2005年がんによる死別)して、私の実家に行った時に石けんで食器を洗っているのを見て「あれっ」と不思議に思い母に教えてもらった。もともとは甥がアトピー性皮膚炎で医師より無添加の石鹸を使うように指導され、妹が探して行き着いたのが同社の石けんであった。

数ある無添加石鹸メーカーの中でも、一番シャボン玉を気に入っているのは、洗い心地が良く柔軟材を使わなくてもふんわりとしていることと、他社は無添加製品を出しながらも片一方では合成洗剤を別会社で製造販売していたり、またOEMで生産していたりする。

しかし、同社は無添加の「シャボン玉石けん」一筋に作りつづけているところに惹かれ、その経営方針を貫きつづけている森田光徳社長(当時、故人)の志と人柄に大いに感激し益々ファンになっている。そして、友の会会員となり地球市民としての暮らし方の知恵と情報を得ながら勉強させてもらい、便利な通信販売を利用し続けている。

1996年(平成8年)に北九州の会社を夫婦で訪ね工場を見学させていただき、初めて森田光徳社長(当時)にお目にかかった。その時に「いまでこそ自然や環境問題が見直され、私に『森田社長は先見の明がありましたね。』といわれた人がいたがとんでもない。そんなことではとても続けてはこられなかった。」と言われたように記憶している。

その気迫に、経営者としての真摯な思いと、本物を追及し続けて来た者にしか言えない真の強さを感じ、いまでもその時の柔和なお顔の中にも凛とした姿が脳裏に焼き付いている。

そもそも森田光徳社長(当時)が無添加の石鹸に製造を切り替えたのは、1971年頃(昭和46年頃)に国鉄(JR)から無添加石鹸の注文を受けたのがきっかけだという。下請けに研究してもらい純正石鹸分96パーセントの製品を作り、テストを兼ねて自分の家で使ったところ10年来皮膚に赤い湿疹ができ悩まされていたのが粉石けんを使っていると1週間で湿疹がきえてしまった。疑問に思いその後洗剤に関する本を読み漁り、合成洗剤の害について確信したところから森田光徳社長(当時)の葛藤が始まる。

それから3年間「自分が使わないものを会社で堂々と売っていいのか」悩みつづけ、ついに「わが社は合成洗剤をやめて粉石けんを売る」と社員や家族に宣言し回り中から猛反対を受ける。「儲かっている合成洗剤をやめるなんで、会社を潰す気か」といわれ、売上も月1億円有ったものが一気に200万円に激減し、68名いた従業員も一時期4名になってしまったほどである。それでも「そのうち必ず粉石けんの良さが消費者に理解されるから」と訴えつづけ、そうした社長の考えに共鳴した人が会社に集まっていった。

1974年(昭和49年)に朝日新聞に有吉佐和子氏の『複合汚染』が連載され、合成洗剤の害が取り上げられ、消費者からの要望でスーパーや薬局も同社の粉石けんを置かざるを得なくなり業績も上昇。しかし、日本人は「熱しやすく冷めやすい」、マスコミに左右されブームで買っている傾向が強く、しばらくするとまた売れなくなってしまう。

そして、またつぎの波が1974年(昭和54年)の琵琶湖汚染問題で、再び粉石けんが売れ出す。その時に森田光徳社長(当時)は土壇場のまさに男の命を掛けた勝負にでる。「小さくてもいい、他社にない自社工場を持とう」と決心したのである。

その背景にはその1年半ほど前に、ストレスで大量出血をして病院のベッドで「おれは無公害のシャボン玉を広めることに人生を賭けたのではなかったのか。そのために億という宣伝費を使った。このままではあの世で悔いてしまうだろう。」という思いがあったのだという。

そして、いまでこそ言えるのですがと、話してくれたのが4億5,000万円の生命保険の話であった。「今までの石鹸の欠点をなくすために中が空になった中空粉状にするという難しい技術に挑戦。死物狂いで研究し実験室で成功。しかしそれが実際の工場でうまくいかなければ即倒産である。

そこでお金をかき集めるようにして保険に加入した。普通の病死では1億円の保険だが、事故死の場合には2倍の2億円になる保険に2口と別に5,000万。あわせて4億5,000万円の保険に入り、万一のときには4億円で銀行の借金を返し、残りの5,000万円は女房に。。。」という段取りをされたそうだ。そして失敗したら会社に未来はない。26メートルもある工場の乾燥塔の上から足を滑らせた振りをして事故死をしようと決死の覚悟を決めての決断であったという。

その話を聞いたときには涙が止まらなかった。経営者には皆幾多の苦労があろうが、そこまでして私達消費者にそして自然に、環境にやさしいものを作り続けてきてくれたのかと思うと本当に娘さんをイメージして作ったあの「シャボンちゃん」の商標登録マークが輝いて見え、シャボン玉石けんを使っていることが誇りに思えた。

合成洗剤の有害性とそして無添加石鹸がいかに環境にやさしく、大自然の中で生かされている私達にとって必要不可欠なものであるかは、森田光徳社長(当時)が書かれた本『自然派「せっけん」読本』(農山漁村文化協会刊)を読まれることをお勧めしたい。自らが無添加石けんの良さをPRする目的で書かれた本だが増刷に次ぐ増刷で、近くの書店に平積みで置いてあったことがあった。「えっ この本が平積みで?」と吃驚したのと同時に本がいとおしく感じられた。

森田光徳社長(当時)は社長業の傍ら、「石けん運動家」として全国各地に年間100回以上の講演活動をされている。「私どもの商品を買ってくれなくてもいいんです。一人でも多くの人が私の話を聞いて合成洗剤を止めて石けんの愛好家になってくれれば」とおっしゃっていたが、森田光徳社長(当時)の人柄と製品の確かさに触れ通信販売を含め全国にシャボン玉ファンが着実に増え続けている。

森田光徳社長(当時)は「『生きる事は選ぶということだ』という言葉があるが、それは『欲を捨てること』と私なりに解釈している。そして捨てて残ったのが目標で、それをまっすぐに一本につないでいった。」という、幾多の時代の波を乗り越えてながらも流されることなく、あえて苦難の道を選び戦い続けてきたのもそうした考えがあってこそ。

経営者としての一筋の生き方に、九州男児の男意気を感じさせる人である。

「生きることは、選ぶこと。それは、欲を捨てること」
          森田光徳・シャボン玉石けん株式会社 前会長、故人)

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