皆さんこんにちは!
人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。
森 信三(もり のぶぞう、日本の哲学者・教育者。通称、しんぞう。)
有名なのはここまでであるが、続きがある。
縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくんば、たとえその人の前面にありとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし。
当シリーズは、グローバル社会にどう生きるかを、歴史の重みに耐えて今なおその普遍性を有する古典を紐解くことにより得ていく。
古典は、洋の東西あるがが、まずは「論語」をシリーズとして取り上げ、今日は、その第4回。
論語爲政第二の十五に、次の章句がある。
この箇所の素読音声は、下記再生してお聴き下さい。
意味は、先生(孔子)は、いわれた、「学んでも考えることをしなければ、ものごとははっきりしない。考えても学ぶことをしないで思考を只巡らせるだけでは独善的考えになってしまい危険である。」
・学んでも:「学」とは、書物を読んだり先生に聞いたり、外部からの習得を意味する。
孔子のこの教えは、現代の私たちにも大きな教えである。現代社会は、孔子の時代同様書物や人に教えを請うというほかに、インターネット、テレビなど、様々なメディアからも情報を収集し学ぶことが出来る。しかし、その情報や学んだことを自分で考えなければ、生きた情報、学びとはならない。
また、逆に、書物や人に教えを請うことや様々なメディアから学ばずに、一人で思い考えるだけでは、独善的な考えになってしまって意味がなく、危険なのである。
自分で考えると言うことは、書物や人から聞いた話しや、インターネットで吸収した知識を只そのまま鵜呑みにしていくと大変危険な場合もあると言うことである。それらの情報や知識を頭の中で、場合によっては書いて関連づけたり、組み合わせたりして単なる情報や知識として存在するものを、活かして行くことである。そのようにすることによって、知識が智恵に変わっていく。
新型コロナウイルスが蔓延している頃、SNSなどを介してトイレットペーパーに代表される日用品の在庫や予防法に関しての誤った情報の拡散が起こった。誤った情報は、正しい情報よりも早く広まると言う。
人は、衝撃的でネガティブな情報の方が記憶に残りやすい習性があるようである。仮に、信頼できる友人、知人からの話であっても、情報源が不明の場合は疑ってみること、また、自分できちんと調べ、情報を整理していくことは間違った行動をしないために大切なことである。
情報収集、分析、測定に当たっては、自分自身の「立場」の点検確認を常にしておかなければならない。同様に、情報源の立場(情報提供者の立場)、判断者の立場も考慮に入れる必要がある。
収集した情報(データ)は、点検をしなければならないが、最初にしなければならないのが、「確定的材料」と「確定的でない材料」の区別である。点検した後の整理や分析の展開は、「確定的な材料」から出発しなければならない。
歴史の重みに耐えた古典には、現代に活きる教えがある。
連載続く
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