ダッハウ強制収容所を訪ねて

皆さんこんにちは!

When we are no longer able to change a situation – we are challenged to change ourselves.

それ以上どうやっても周囲の状況を変えることができないという場合、私たちは自分自身を変える努力をしなければなりません。
 ヴィクトール・フランクル(オーストリアの精神科医、心理学者、『夜と霧』の著者)

今日は、ダッハウ強制収容所を訪ねたときの随感を書く。

1996年4月25日、ドイツへの新婚旅行をベルリンから鉄道の旅で途中下車しながら、最終訪問地であるミュンヘンに私たち夫婦はいた。

どこに観光に行こうかと夫婦で話す中で、これからの自分たちの人生を意義のあるものにしていくに相応しい場所と言うことで、決めたのがダッハウ強制収容所の訪問であった。

ダッハウ強制収容所は、ドイツ・バイエルン州ミュンヘンの北西15キロ程のところにある都市ダッハウにナチスが1933年に設立した最初の強制収容所である。その後の強制収容所のモデルとなった。

約20万人近い人々が収容された。収容された人達は、ユダヤ人や、ナチスに反対するドイツ人やポーランド人であった。

また、ダッハウ強制収容所には、30を超える下位収容所があった。3万人を超える人々が、ダッハウ強制収容所そのものの中で死亡し、その他に下位収容所内で主に、疫病、栄養失調、自殺などにより約1万人が死亡している。

人々は、窓のない列車に長時間乗せられてダッハウ強制収容所に到着する。収容所の門には、「働けば自由になる」(ARBEIT MACHT FREI)と表記されている。その言葉を信じてこの地に辿り着いた人々は、裏切られたということをその後知ることになる。

列車を降りるとすぐにドイツ兵によって選別が行われる。男、女、子供に分けられた。選別されたあと、衣服を全て脱ぐことを強制され、髪の毛も切られた。その後、人々は、過酷な日々を送ることになる。

ダッハウ強制収容所では、ドイツ人医師が囚人に対して人体実験を行ってた。例えば、超高度実験、冷却実験、マラリアや結核の実験、新薬投与実験などである。これらの実験によって数百人の囚人が死亡したか、または、回復不能な障害を負った。

ダッハウ強制収容所には、ガス室があったが、ガス室での虐殺は行われたという記録は残っていないと伝えられている。

さらにダッハウ強制収容所の囚人達は、強制労働として建設作業や様々な製造現場に従事させられた。前述したように、ダッハウ強制収容所には、30を超える下位収容所があり、これらの場所では3万人以上の囚人がドイツ軍の兵器製造に従事させられていたという。

ダッハウ強制収容所を訪れて、その環境に身を置くと考えさせられることが数多くあった。展示物や写真、ドキュメンタリーフィルムに目をやれば、目を覆いたくなるようなものばかりであった。人間が人間に対して、ここまで壮絶で陰惨なことを行うことができるのかと思うとやりきれなく胸が痛み、涙が流れてきた。

私たち夫婦は、この地を後にしながら、平和な日本に暮らせることへの感謝、そしてこれから二人で歩む人生をささやかではあるにしても、周囲の人達が安らぎを感じられるような行動をしていこうと誓ったのであった。

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