商いの心~本物の味と感謝の心を大切に~

大阪府堺市に橋本太七・由起子ご夫妻が始められた、『安心堂白雪姫』というお豆富屋さんがある。街の豆腐がどんどん無くなっている中で、本物の味と、感謝の心を大切にし、『商いの心』とは何かを教えてくれるお店である。「店はお客様のためにある」という考えと、「本物のお豆腐を作る」という志の基に作られ、届けられるお豆腐には多くの思いが秘められている。

もともと橋本さんは、金沢の芝寿司で工場長をしていた。梶谷社長は「店はお客様のためにある」という考えを徹底した経営を行っていた。ある時、由紀子夫人が原因不明の病に倒れ寝たきりになってしまった。その時の話を伺うと、奥様は『その時は工場の上に住んでいたので、主人は自分がトイレに立ったときに、食べ物を扱っているのにいやな顔一つせずに私の下の世話までしてくれた。原因不明でいつ治るともわからない病気だったが、感謝の気持ちで一杯でした。』と。 又、ご主人は『いつ治るとも解らない病気で辛い筈なのに、いつもにこにこしていて励まされ、頭が下がった。』といわれていた。

困難な時にこそ、夫婦、家族の絆が必要とされ、又人間の真価が問われているように思えてならない、印象的な言葉であった。

その後、親戚の人が豆腐屋を廃業すると聞き、ご主人は大阪で豆腐屋を継ぐ決心をし、梶谷社長に告げた。梶谷社長は「あなたが良くても、奥さんが賛成でなければOKできない。」といわれ夫人が呼ばれた。そして、由紀子夫人は社長の質問に「何を仰います社長さん。主人は私が病気のときに本当に良くしてくれました。治ったら何かお返ししたいと思っていました。その主人がやりたいというのなら大阪について行きます。」と答えた。

そして、金沢を離れることになった。梶谷社長が出来たばかりの金沢文化ホールを借りて、取引先や従業員約三百人を集めて歓送会を開いてくれた。その席では、映画『てんびんの詩』が上映され、商売の心の原点になるようにとの餞の会であった。

その会場には両親が知らない間に子供たちが呼ばれていた。今までは工場長の家族という扱いをされていたのが、街の一介の豆腐屋になるということを、大人は頭で理解できても子供にはわからない。だから、「お父さんたちはこんなにも多くの人に惜しまれながらも、大阪で豆腐屋になるというのを見せておきたかった」という梶谷社長の粋な計らいであった。

大阪に移り、身を粉にして慣れないお豆腐づくりを始めた。陣中見舞いに訪れた梶谷社長から、「安心堂を大阪で一番の豆腐店にして下さい」といわれた。そしていい材料を使うようにともいわれた。工夫に工夫を重ね、お客様に美味しいお豆腐を食べてもらいたいというおもいから「白雪姫」、竹籠に入った「かぐや姫」が生まれた。

商品に愛情を持っているご夫妻は、こんなに栄養があって美味しい食べ物に「腐る」という字はおかしいと言うことで、とうふと言う字は豆が富むと書き、「豆富」と読ませている。

そして、「安心堂のお豆富は美味しい、本物の味がする」と口コミで評判となり、全国からお中元・お歳暮の他にも、父の日に、記念日に、パーティーにとクール宅急便の注文が寄せられている。その中には奥様の手書きの画とメッセージが筆で添えれており、送った人の気持ちが心に響いてくる贈物として喜ばれている。

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