心の作用~古典に学ぶ~

皆さんこんにちは!

アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク、1929年6月12日 – 1945年3月上旬、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女)の言葉を紹介する。

Where there’s hope, there’s life. It fills us with fresh courage and makes us strong again.
希望があるところに人生もある。希望が新しい勇気をもたらし、そしてまた強くなる。
アンネ・フランク(Anne Frank)

中国明代(1368年 – 1644年)の呉江に74歳で亡くなった袁了凡(えん りょうぼん)という人がいた。袁了凡は、代々学者の家に生まれ、幼名を「学海」といいました。将来は医学の道に進もうと考えていた。

あるとき孔という不思議な老人が学海の家を訪れて、学海の将来の職業や寿命などを予言する。そしてその予言のとおり科挙(中国で行われた官吏の採用試験。隋(ずい)に始まり、清(しん)朝の末期に廃止)を志す。

その後、彼の身の上に起こったことは、すべて孔老人の言うとおりになっていき、学海は徹頭徹尾「宿命論者」となった。

役人になった後に、棲霞山中に以前から教えを請いたいと思っていた雲谷禅師を訪ねる。雲谷禅師に自分のこれまで人生の話をすると、孔老人の宿命論のままに生きようとする学海の姿勢を大馬鹿者と叱咤し、人は自らの力で立命できると語った。

彼は、雲谷禅師の話に強烈に感動し、その教えに従い、徳性を磨き、善事を心より行い、多くの陰徳を積んだ。すると孔老人の予言は段々と当たらなくなって行った。53歳で死ぬと言われていましたが、74歳まで生き、子に恵まれないと予言されていたが子にも恵まれた。

学海は、名を「了凡」と改め、自己の宿命観を乗り越えて、自分から運命を創造してゆく体験を著した。それが「陰隲録」である。

その袁了凡が残した言葉に、下記がある。

過は心に由ってよって造り、亦心に由って改む。毒樹を斬り直ちに其の根を断ずるが如し。奚ぞ必ずしも枝々にして伐り、葉々にして摘まんや。
「陰隲録」袁了凡著

意味は、「過悪というものは、心によっておこり、心によって改まるものである。毒樹を根絶するときのように直ちに文字通りその根を絶てばよいのである。なにも、その一々枝を切ったり、葉を摘んだりする必要ない。」ということである。

過悪は、人間の様々な隙をついてその魔の手を伸ばして来る。その魔の手に打ち勝つか屈服するかは、その当人の心構え一つである。自分の心さえ動じることが無ければ、過悪がどこから来ようと、どんな手段で来ようと自分はそれに打ち勝つことが出来るのである。

私たちは、富を求め、地位を求め、名声を好み、怒りを好む等種々「過」というものがある。しかし、どんなものでもその手段が道理に反していてはいけない。道理に反しない心構えをどう創るか。大変重要な課題である。

幸いにも、私たちには、歴史に耐えた様々な教訓や教えがある。その教訓や教えを頭で理解をするのではなく、行動として出てくるまで間断なく繰り返し反復することである。それが、無意識の行動としてあるとき出てくる。また、その行動が出来た後も常に努力を怠らないようにしたいものである。

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