修養と努力

非社交的で内気であった性格を血のにじむような努力をして克服した、元首相・濱口雄幸。昭和五年十一月十四日、同氏は、狙撃され、苦しい闘病生活を余儀なくされた。その療養中に「随感録」という書物を書いている。「随感録」から、「修養と努力」について述べてある一節を紹介する。

「非社交的な性格の矯正と言ひ、弁論の矯正と言ひ、一、二の例に過ぎないけれども、その他余の性格上の欠点は、一々此処には言はぬけれども多々あったのである。比等のことは親兄弟にも知れぬ様に、殆ど血の出る如き大努力をなして自分自身に之が矯正に努めた。而して其の努力にはそれぞれ相当の効果があったと信ずる。
 世の中には、大志を抱きながら殆ど何等の努力を為さずして、自己の性癖のままに振る舞うもが尠からずみうけられる。殊に近時の学生に至っては、その弊が最も甚しいのではないかと思ふ。要するに、余は、修業こそは人物を創造する唯一の途であると信ずるのである。」

 中略

 「第一に余は生来極めて平凡な人間である。唯幸にして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのでは此の世に於て平凡以下の事しか為し得ぬこと極めて明瞭である。修養と努力とは、自覚したる平凡人の全生活であらねばならぬ。故に余は日常生活の実際に於て心の閑暇を持つことが少かった。学生生活・官吏生活・政治家生活の全面を通して自ら其の本分と信ずるところに向って —– 自分から言ふと可笑しいかも知れぬが —– 全力を傾注した積りである。余としては殆ど余事を顧みるだけの心の余裕がなかったのである。而してその努力の効果は如何であったかといふことは別問題であるが、兎も角も余の今日あるは此の努力の御蔭であると信ずる。」  濱口雄幸 日記・随感録(みすず書房)

濱口雄幸は、ライオン宰相と言われていた。その濱口氏の血のにじむような努力には、敬服させられると同時に、自分はそれだけの努力をしているのかと深く反省させられる。

 己をよく知り、そして自分の長所は何か、短所は何かをはっきりと自覚することが大切なのは頭では理解できる。しかし、その克服に私たちは、どれだけの努力をしているであろうか。少しやって困難に出会うとやめてしまってはいないだろうか。私たちに大切なことは、明日を信じて修養と努力に励むことである。長所は、さらに磨きをかけ、短所は短所だからどうしようもないと諦めず、その短所を克服する、あるいは、短所を生かす努力をすることである。

 修養と努力が大切なのは、性格だけではないだろう。会社経営でも、濱口雄幸が自己変革のために血のにじむような修養と努力をしたことは、見習うべき必要が大いにあるのではないだろうか。

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