シンクロニシティ 意味のある偶然の一致

皆さんこんにちは!

人間は一生のうち逢うべき人に必ず会える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。
しかし、うちに求める心なくば、眼前にその人ありといえども、縁は生じず。

森信三(日本の哲学者・教育者)

今日は、「シンクロニシティ 意味のある偶然の一致」について。

シンクロニシティ(英語:synchronicity)という言葉を聞いたことあるであろうか。ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指す。日本語では「共時性」「同時性」「同時発生」と訳されるが、「意味のある偶然の一致」という表現の方が今日の内容に適切かと思う。

これは、例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つことであり、ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ。

武満徹という著名な作曲家をご存じの方も多いかと思う。彼は、ほぼ独学で作曲を学び世界に通ずる現代音楽の作曲家である。

曲作りに苦悩したときには、バッハの「マタイ受難曲」を聞いてインスピレーションを受けて曲作りに励んだとのことである。バッハは、私が大好きな作曲家であり「マタイ受難曲」は、バッハの数ある曲の中でも大好きな曲の一つである。

彼は、1995年65歳の時、膀胱、および首のリンパ腺にがんが発見され、その後長期の入退院を余儀なくされた。病状は、日に日に悪化していく。

死の前日は、大雪が降り、妻は見舞いに訪れることができなかった。彼は、訪れる見舞客も無いので、本を読んだりラジオを聴いたりして一人静かに時間を過ごしていた。

ラジオをつけるとNHK・FM放送でクラッシク音楽の番組があり、偶然にも、彼が愛してやまなかったバッハの『マタイ受難曲』であった。長大な曲であり全曲が放送されることなどは、滅多にないことなのある。

彼は、この大曲「マタイ受難曲」を深い感動とともに当に人生を閉じようとしている時、一人病床に伏す病室に静かに流れ、しみじみと聴くこととなった。

NHK・FMの同番組のディレクターが、武満徹氏の状況を知っていて、この日のプログラムを決めたわけではないであろう。また、大雪でなければいつものように妻も来ていただろうし、見舞客もあっただろうし、ラジをつけることもなかったであろう。

一つ一つは、独立した出来事であるにもかかわらず、奇跡的に全てが同時に起こり、彼が愛してやまなかったバッハの「マタイ受難曲」全曲が流れ、彼は一人静かに聴くことができた。

そして、彼の魂はさらに磨かれ大いなるものに委ねる心境となったのではなかろうか。

これが、ユングが提唱した概念のシンクロニシティ(英語:synchronicity)、「意味のある偶然の一致」を指す。また、臨床心理学者の河合隼雄氏は「意味のある偶然」と言っている。

私事で恐縮であるが、35歳の時、私は、独身で東京の多摩ニュータウンのマンションに住んでいた。ある日の土曜日の午前、テニスを近所でした後、マンションの部屋に戻り昼食をとって、午後から部屋の掃除をやっていた。そのとき、ギックというかすかな音と共に腰に激痛が。やってしまった。酷いギックリ腰を。そのまま床に伏してしまった。独身であったので、マンションの部屋には私以外誰もいない。痛みが引くまで、落ち着くまでそのままの状態であった。その後数日、通勤できる状態でなく、近所の整形外科で治療をするが、少し良くなって出勤するも往復の通勤で再び悪化。再び勤務先を休む。途方に暮れ、同僚に電話で相談し、整体や針治療院を紹介されるが気乗りせず。電話帳でギックリ腰の治療を引くと、様々な治療院、病院が出てきた。その中に、比較的大きな広告で「中島カイロプラクティックセンター、院長 米国連邦政府公認ドクターオブカイロプラクティック(D.C.)中島旻保(なかしま ふみやす)」が目についた。場所は、東京の渋谷(最寄り駅は新宿)であった。広告が他よりも大きく、目立ち、ここで大丈夫かなと思いながらも電話をした。電話に応対に出たのは、女性の方で症状などを丁寧に聴いていただいた。その時、ここに行ってみようかと思った。そして、その場でこれから電車を乗り継いでいくので1時間半ほどかかるが予約を入れて行ってみた。小雨の降る平日の夕方近い頃であった。何とか、たどり着き診断と治療を受け、院長の説明を受けた。何が問題でギックリ腰をやってしまったのか、今後の治療方針・方法など丁寧に説明をして頂いた。しばらくの間毎日通院するようにとのことで通院することになった。初診のその日の帰途は、来るときと全く異なり痛みもかなり和らぎ、通勤通学の帰宅時間帯で電車も混んでいたが、立って帰宅できるほどであった。ギックリ腰の治療は、ここにかけてみようと思った。まずは、良い出会いであった。その後、治療に通う中で院長と話しをしていると、共通の人生の師(安岡正篤先生や行徳哲男先生など)がいることや、愛読誌「月刊・致知」も共通であった。不思議な共通点が多々あることが分かった。その後、ギックリ腰の治療完了後は、東京圏にいたときには毎月一回健康管理で通院していた。今は、上京の折に診てもらっている。

これも一つ一つは、独立した出来事であるにもかかわらず、大いなるものに導かれての「シンクロニシティ 意味のある偶然の一致」であろう。

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